平成16年10月26日午前7時30分



皆さんこんにちは。
「立ちあがれ!中越」プロジェクト、niigatachuetsuことshigeです。
では前回の続きです。

結局、翌朝私はボランティア参加者の集合場所である昨日会議をした建物に行きました。
ウチは被害の程度も軽く、職業柄(電気工事)忙しいとは言え、やはり余力のある人間が頑張らなくては、と思ったからです。
初日は(社)埼玉中央青年会議所の方がボランティアとして入って下さいました。
まだ地震から日も浅く、民間のボランティア団体が体制を作れない中でいち早く駆けつけて下さいました。
その後も各地の青年会議所を筆頭に様々なボランティア団体の方が駆けつけて下さいました。


ですが、そんな中でも若干の問題は生じました。
それは避難所間の格差です。
最初に問題が生じたのは10月27日の水曜日。
私は(社)富山青年会議所の方とカレー炊き出しの出前に市内東部の避難所に行きました。
そこで炊き出しをしてた際に、避難所のスタッフをボランティアでしていた方からすごい話を聞きました。
「今友達に『今日はカレーだよ』ってメール送ったら『いいなあ。うちは1日にパンが1つだけだよ』ってメールが来たんです。友達の避難所にも分けてあげることってできないんですか?」
これには驚きましたが、あり得ない話ではありませんでした。
4万人程度の街で大小あわせて120箇所以上の避難所があったのです。
どこにどれだけの人が避難しているか把握するのが精一杯で、その避難所への補給や環境などいわば兵站的な部分まで把握するのが難しかったのです。
私はすぐその場でそのお友達と連絡を取って避難所の責任者の方の連絡先を聞いて連絡を取りました。
更に宮崎副本部長に報告し、市役所の担当の方と話し合って供給量の増援を決定しました。

ですが、このケースはたまたま露見したから対応が出来たに過ぎません。
落ち着くまで満足な補給を受けられなかった避難所も多かったことも事実です。
その一方で連日マスコミに取り上げられるのはボランティアセンター近くの市内最大の避難所がメインで後は小学校くらい。
そうするとボランティアの炊き出しも、どうしてもそこに集中してしまって避難所間で極端な格差が出てしまうのです。
ボランティアセンターや行政の方で分散させればいいじゃないか、と言う方もいるかと思いますが、残念なことにそう言った避難所を斡旋すると
「そんな僻地ではイヤです」
「そんな所なら帰ります」
と言う声があったのも否定できません。
非常に難しい問題だと思います・・・

次回は震災レポート最終回をお伝えする予定です。
それではまた。

(続く)