平成16年10月25日19時00分



皆さんこんにちは。
「立ちあがれ!中越」プロジェクト、niigatachuetsuことshigeです。
更新が滞りましてスミマセン。
私事ですが年末に家族に不幸があり、また例の大雪とダブルパンチを受けておりました。


う〜んと・・・どっからの続きになるのかな・・・(パラパラ)


ハイ、分かりました。
12月1日のエントリーの続きですね。

その集合場所である建物に着きました。
非常用発電機があるのか、漆黒の暗闇の中で煌々と光ってかなり目立っていたのをよく覚えています。。
70名以上のメンバーの中から、それでも1/3程度が何とかここに来ました。
しかし、中には全く連絡がつかなかったメンバーもいたそうです。

話の内容は小千谷JCでボランティアセンターを運営してほしいという申し出があったということでした。
何らかのボランティア関連のことであるとは思ってはいましたが、そこまで主体的になる話だとは思いませんでした。
せいぜい、ボランティアセンターができるからスタッフとして若干手伝って欲しい、と言う程度のことだと思ってました。
正直なところ、被災地域の住民がどこまでボランティアに参加できるのか、不安なメンバーが殆どだったと思います。
水害などとは違って全地域が被災しているのですから。
自分自身が被災して生活するのがやっとの人もいれば、逆に私みたいに自分自身の被害は軽微でも、職業がら余裕が持てない人もいます。
そう言った中でボランティアセンターを運営して上手く機能するのだろうか?
でも、明確な、確固たる答えは誰にだって出せないのです。

そんな話し合いをしている中で、「誰か軽トラックを出せる人は数人いないか?」と言う話が出ました。
この上越JCから発電機付投光器が10数台、援助機材として送られてきたのですが、大型ユニックで来ているので道路状況によっては運搬できない避難所もあるだろうとのことで軽トラックを必要としているとのことでした。
すぐに2〜3名が手を挙げました。
私も手を挙げました。
とりあえず、会議場を後にして待ち合わせ場所である市役所へ向かいました。

市役所の災害対策本部で配布先や経路についての打ち合わせを行いました。
市職員が慌しく動いており、多数の貼紙がしてありました。
中には「死亡」と書かれた貼紙もあり、痛ましくなると同時に、非常にリアルな現実を突きつけられた気がしました。

打ち合わせが終わって、二手に分かれて発電機を配りに回りました。
反応も様々で、比較的被害の程度の軽かった片貝地区ではいらないという人もいましたし、酒盛りをして酔っ払った被災者に絡まれたりもしました。
一方、山合の吉谷地区ではまたとない救援資材であると大変喜んでもらえました。
発電機を配り終えて会議場に戻ってきたのはもう日付も変わろうかと言うころでした。
会議の結果は宮崎理事長(当時)が頭としてボランティアセンターの副本部長として入って、割り当て等はせずに参加できるメンバーがその都度副本部長直轄として参加するだけ、と言うものになりました。

家に帰ってきて眠りにつくときには1時になろうとしていました。
この日は電気もつかない家の中へ入って行き、自分のベッドの中で深い眠りにつきました。

(続く)