平成16年10月24日午前6時05分

市内桜町。朝日が限りなく嫌味に見えた




皆さんこんにちは。
「立ちあがれ!中越」プロジェクト、niigatachuetsuことshigeです。


それでは前回の続きです。





この日の朝は嫌味なくらいにすがすがしく晴れ渡った空でした。
きっと、本来であれば行楽地へ向かう人々も多かったことでしょう。
私はもっと皮肉なことにこの日は消防避難訓練と緊急救命のセミナーを受ける予定でした。
練習の前日にまさかの本番が来てしまうとは何たる皮肉でしょうか。
朝起きるとすぐに車を走らせて周囲の確認に回りました。
「旭橋が落ちたらしい」
昨日、色々な所で聞いた噂だったのですがまずはそれを確認しに行きました。
旭橋は無事でした。
大災害の時の流言飛語が悲劇を生むことは数々の歴史が証明しています。
ドイツ宰相オットー・フォン・ビスマルク曰く「賢者は歴史に学ぶ」


旭橋を渡った後にUターンし、今度は国道117号線バイパスへと向かいます。
折れた信号機、倒れた電柱、飛び出したマンホール・・・
賑わう街並は瞼の想い出と変わり果てました。
1時間ほど回って今度は親戚の家を回ってみました。
私の父の兄はアウトドア好きが幸いしてか、早々と長期戦覚悟の生活体制を車庫で整え終えていました。
「シゲちゃん、家と家の間の壁が上から落ちてきたんだよ!!」
同い年の従姉妹が被害の凄まじさを語りました。


他にも数件の親戚を回って帰宅しました。
午前8時半くらいでしたでしょうか?
両親は散らかった家の中から冷凍蕎麦と昨日の夕食に並ぶはずだった大根煮の入った圧力鍋を持ち出していました。
後は冷蔵庫の中から生卵。
会社の倉庫から現場用の発電機を持ってきて、電気ポットの残り湯で蕎麦を茹でて朝食を摂りました。
生活全般に私は今回の震災ではかなり恵まれていた方だと思います。
その意識がまた次の行動へと繋がったのですが・・・


朝食後は山に水汲みに行きました。
完全に水道が出ない状態でとにかく水を確保しないことにはどうにもなりません。
ジュースやコーヒーでは手を洗うことも出来ませんから。
「姥清水」と言う地元の名水を汲みにポリタンクを2つもって山に向かいました。
一見、変わらずに清らかな流れを湛えていたかのように見えたのですがポリタンクにためるとそれでも濁りが目立ちました。
多少の生活用水としては問題ないと判断してそのまま帰宅。
このあと水と食料の確保のために市外脱出を試みます。。




(続く)