平成16年10月23日午後7時45分

自主的に設置したバリケード




皆さんこんにちは。
「立ちあがれ!中越」プロジェクト、niigatachuetsuことshigeです。


それでは前回の続きです。





家に戻り、再び父と周りの様子を確認しに行きました。
私の家の目の前には生徒数1,000名近くの中学校があり、そこのグラウンドには続々と避難するための自家用車が集まっていました。
ただ、その中学校の周辺とて決して無事ではありませんでした。
車の前方に若い女性が立って手を振っていました。
「この先で道路が陥没してて危ないから気をつけて!!」
アスファルトは陥没し、マンホールは飛び出し、液状化現象で泥水が陥没した所に貯まっていました。
この女性は近くのマンションの入居者のようでした。
そこのマンションも私の会社で手がけた物件で、また内装会社の社長でもあるオーナーが敷地内に住んでいたこともあり、オーナーを尋ねました。
互いの状況と安全を確認しあった後、社長はマンションの点検を、私は会社に戻ってカラーコーンを持ってきて自主的に陥没した所にバリケードを設置しました。
今後も続々と避難車両が来ることが予想され、暗闇の中で陥没した所に車がはまる危険性が十分に考えられました。

マンションや中学校周辺の対処が終わった後、父は会社に戻り、私はその内装会社の社長とお客様の様子を見に行くことにしました。
市内でも有数のある会社の会長宅に行ったのですが、家の窓ガラスが割れてしまったのに奥様が足を怪我していて動けない、と言うことでありあわせの材料で急遽開口部を塞ぐ作業をしました。
ヘルメットをかぶっている私たちを見て、街に避難している人たちは不安そうに
「市役所の方ですか?」
と声を掛けてきます。
全く電気のない漆黒の闇に閉ざされて、道路は陥没し、建物は壊れたり崩れかけていた街はゴーストタウンの様でもありました。
人々が一番欲しいのは情報でした。
路上に車を停めてエンジンをかけたままにしておくとすぐに人が何人か集まってきます。
カーラジオを聞くためでした。

何箇所か回るうち、携帯電話が鳴りました。
電話は今まで全く通じなかったので携帯電話が鳴ったこと自体が驚きでした。
電話を掛けて来てくれたのは地元でギフトショップを営む先輩でした。
尊敬する先輩からの安否を気遣う電話が大変心強かったのを今でも覚えています。
「でもTさんのお店の方が酷いんじゃないですか?」
「ああ、安い瀬戸物は割れないくせに高い瀬戸物からどんどんと割れていったよ。1,000万じゃきかないかも知れないなあ。今度からshigeの会社で雇ってもらおうかな。」
自分自身がもっと大変な被害を受けているにもかかわらず、後輩を気遣い、そしてちょっとした冗談を口にする余裕すらある。
改めてTさんの凄さを感じるとともに、女性からも大変な人気があることに改めて納得しました。(余談ですが、このあとTさんのお店は頻繁にマスコミの取材を受けることになります)

一通り回って家に着いたころには日付が変わっていました。
「夜が明けて明るくなったらどんな街が目に飛び込んでくるんだろう?」
漠然とした不安を抱えながら、車中で眠りにつきました。




(続く)