半年



こんにちは!!
「立ちあがれ! 中越 」プロジェクト 、niigatachuetsuことshigeです。


新潟県中越地震から今日で丁度半年が経ちました。
6ヶ月前の10月23日午後5時56分。
あの時のことは今でも鮮明に覚えています。
その時、私はベッドの上に横になっていました。
地震が来た時、誰もいないのに思わずこんな言葉を発しました。
「やばい、シャレになってない・・・」
飛び起きて部屋の隅の何も無いところに逃げると、ベッドの脇にあった暖房器具が倒れ、部屋の入り口に有った本棚がベッドに向かって倒れてきて。
やがて正面の部屋の戸が外れたらしく私の部屋の戸を激しく叩く音が聞こえ、遠く台所からは食器が割れる音が鳴り続け・・・
今でもあの音は耳に残っています。
あの時にはこうしてweblogを書き綴ることになるなんて全く考えられませんでした。

今日、新潟市の緑化フェアスプリングフェスティバルにブーススタッフとして行って来ました。
新潟県中越地震の写真の展示や小千谷の物産販売をしてきたのですが、写真展示コーナーで説明した時にやはり話題に上がるのは4月21日のエントリーにも書いた長岡市妙見の土砂崩れの現場のことでした。
当時の写真が展示してあったのですが、その写真のまま今も何も変わっていないことに驚く人、そしてそこを震災メモリアル拠点として残すことの行方に関心を持ってる人、と様々でした。
そして感じたのは、やはり人々の記憶から徐々に震災のことが薄れ行ってると言う悲しい現実でした。
そう言った意味では新潟県中越地震を、新潟県中越大震災を象徴する場所として永遠に後世にこの地のことを伝えると言うことは意味があるかもしれません。
その一方でこの道路は小千谷市長岡市を結ぶ重要な道路の一つで早期開通を望んでいる人が多いと言うこともまた事実です。
人の動き、経済活動の活発化からすれば早くこの道路を復旧したほうが復興に貢献すると言えるかもしれません。

震災から半年の節目の今日。
ただ復興を目指す、立ち上がり前を向いて歩く、と言うことからどの様な形で復興を目指すのか、今自分たちが向いている「前」は本当に「前」なのかを考える、そう言った一歩捨てプアップした思いを被災者皆が考えていかなくてはいけないのでは?と感じました。

最後に新潟県中越大震災で亡くなられた方のご冥福を改めてお祈りいたします。