その時脚立が動いた



みなさんこんにちは!
新潟県中越地震「立ち上がれ!中越」プロジェクト、ID:niigatachuetsuことshigeです。
先回のエントリーで特別イベントの被災者の生の声をお伝えしましたが、今回はその番外編として、最も被害が甚大だった地域の一つである山古志村の方の話をしたいと思います。
その方はIさんと言って山古志村でご兄弟と電気工事店を営んでいる方です。
私も同業者な者でして、先日の組合の会合で一緒になり、話を伺うことが出来ました。
何分、会合と言う酒の席での話の上、1ヶ月近くも前に聞いたことですので若干記憶が曖昧な部分もありますが、ご容赦願いたいと思います。


  • 手を離すな!!

その時、Iさんは隣接する小千谷市東山方面の現場で住宅新築工事の仕事をしていたそうです。
脚立の上で配線作業をしているときに、午後5時56分を迎えました。
突然の凄まじい揺れにIさんはとっさに目の前の天井梁にしがみつきました。
あれだけの揺れでは脚立なんてひとたまりもありません。
すぐに脚立は倒れてしまい、Iさんは天井梁にしがみついたまま宙吊りになってしまいました。
一つ一つの揺れが何分くらいだったのかは分かりませんが、あの時は強く長い揺れが止まったと思ったらまた揺れ、そしてそれが止まったらまた揺れ、の繰り返しでした。
事実、気象庁の観測では午後6時までの4分間で震度6強、5強、3の3回、6時から7時までの間で震度3以上の余震を12回記録しています。
助けを呼ぼうにも、余りの揺れで立って歩くこともままならない状態です。
何分間もひどい揺れの中でIさんは梁にしっかりとしがみ付き、宙吊りのまま揺らされていたのです。


  • 迫り来る泥水

Iさん始め、現場にいた職人さんたちは作業を止めて避難することになりました。
家を出るとどこからか「ゴーッ、ゴーッ」と言う不気味な音が聞こえてきたそうです。
その音の正体がやがてIさんたちの目の前に立ちはだかるとはその時は知る由もありませんでした。
一列に並び、まとまって車で避難する車両の先頭がIさんでした。
道路は至るとことが陥没し、そして至る所が隆起していてまともに走れる状態ではありませんでした。
しかし、そこで立ち止まっていてもどうにもこうにもなりません。
慎重に慎重にゆっくりと車を走らせます。
やがてさっきの不気味な音の正体が目の前に来ました。
それは泥水でした。
道路一面を茶色に染め、川となってIさんたちに迫ってきました。
どれくらいの深さかも分からないし、その先で底の路面がどうなっているかも分かりません。
一か八かでIさんは車を目一杯左に寄せてそのまま進むことを決めました。
左に寄せたせいか幸いはまることなくそのまま進むことが出来、やがて別の道に入ってこの川から抜け出すことが出来ました。


  • 装備を整え

別の道に入ってしばら行くと本物の川に出ました。
川の周辺にはたくさんの人たちが避難していて、皆一様に耳を塞いでいました。
その不気味な音が轟音となってそこかしこから聞こえるからでした。
Iさんは車を降りて状況を聞こうとしますが、詳しい状況を知ってる人は誰一人いませんでした。
再び車に乗り込み、家路を急ぎますが、とうとう前に進めなくなってしまいました。
前方の道路が大きく陥没している上に、大きな木が倒れて道路を塞いでいたのです。
Iさんたちは車を降りて徒歩で帰ることを決断し、準備をします。
腰道具を身につけ、車の中からバールやのこぎりなどを出して手に取ります。
この先、どんな状況になっているかも知れないので、それらを自分たちの手で何とかしなくては帰ることが出来ないからです。
装備を整えて、Iさんたちは徒歩で出発しました。
幸いにして極端に大きな障害は無かったそうですが、家に着いたときは夜の10時を回っていたそうです。


  • 「電気と電話が通じなくなっております」

山古志村の地元に着いたIさんは皆が避難している体育館(違ったかもしれません。この辺記憶が曖昧です。)に向かいました。
とりあえず各人が持ち寄った、ある食材で味噌汁を作り、皆で飲みました。
そこでようやく少し落ち着いた気がしたそうです。
しかし、情報は全く入って来ません。
ラジオをつけても山古志村の被害状況説明はただ「電気と電話が通じなくなっております」と言うだけ。
私も地震当初はラジオでも車載のテレビでも長岡市や現魚沼市の被害状況ばかりで、小千谷市の状況が分からずに多少なりともいらだっていました。
余りの報道の無さに「実は案外と被害がそんなに無いんじゃないか?」とバカなことが頭をよぎったくらいです。
しかし、実際には被害がひどすぎて情報を送ることも取り出すことも出来なかったのです。
山古志村はまさにそうで、道路は全て封鎖、電話も電気も使えない、で物理的にも情報的にも完全に遮断され陸の孤島と化してしまったのです。
Iさんたち、「男しょ」は避難してきた老人や子供たちを落ち着かせて休ませて、今後のことを話し合いながら避難の体制作り等でその夜を過ごしたそうです。


  • 震災から4ヶ月、今のIさん

今、Iさんは長岡の仮設住宅に住んでいます。
昼間は普通に電気工事の仕事をしているそうです。
そして何日かに一度、集団で雪下ろしのために一時帰村そうです。
その時は、数名でグループを組み、一軒一軒グループ単位で雪下ろしをするとのことでした。
やはり、そうしないと危ないからです。
いつ、家が倒壊するか分かりません。
個々で長い時間かけて個々の家の雪下ろしをするのではなく、誰の家とは関係ナシに、グループで一気に一軒の家を終わらせて次の家に向かう、と言うスタイルでやっているそうです。



また機会があればIさんの話や他の被災した方の話なんかも紹介したいと思います。
それではまた☆彡