平成16年10月24日午後2時15分




皆さんこんにちは。
「立ちあがれ!中越」プロジェクト、niigatachuetsuことshigeです。


それでは前々回の続きです。
 

2時過ぎに遅い昼食を摂ります。
我が家は仕事柄、ポータブル発電機があったのでそれを回して姥清水で汲んで来た水を使ってご飯を炊くことが出来ました。
おかずはまたしても冷蔵庫の中から何かを持ち出して食べた記憶があります。
いくら涼しい10月末とは言え、生モノが早々何日も持つとは思えなかったので、とりあえず生モノの食料から食べていこうということになったのです。
空腹が満たされると眠気が襲ってきました。
昨晩は狭い車の中で、それも度々揺らされて目が覚めながらの睡眠だったので寝不足だったということもあるのでしょう。
一時間弱くらい昼寝をしたように思えます。

3時半過ぎくらいから何件かの来客がありました。
様子を見に来た親戚や知人もいたのですが、お客様も中にはいました。
受変電設備が壊れてるようなのでいつ復電しても安全なようにしておいて欲しい、電柱の上の機器が落ちそうになっているので何とかして欲しい、と言った依頼が中心でした。
電話が通じないために1時間弱程度時間をかけて歩いてきたという方もいました。

やがて日は暮れて、夜になります。
とりあえず車のテレビでニュースをチェックして、状況を把握。
夕食を摂って8時過ぎくらいには就寝することにしました。
なんと言っても電気が来てませんので何も出来ないのですから。
父は「2日も車の中でなんて寝てられるか」と言って家の中に入って眠りに付きました。
丁度零時くらいでしょうか?
震度4〜5くらいの余震が再び来ました。
目は覚めるのですがとりあえず車の中だったのでそのままやり過ごして、再び眠りに付きました。
ちなみに父はこの余震の後でやはり家から出てきて車の中で寝たようです。